フェルデンクライスメソッド発祥の地を訪ねるイスラエル旅行記Resources

イスラエル旅行記—フェルデンクライスメソッド発祥の地を訪ねる—

2016年12月に、イスラエルに旅行する機会に恵まれました。
イスラエルは、ご存知のようにフェルデンクライスメソッドの創始者であるモシェ・フェルデンクライスの国です。フェルデンクライスメソッドを学べば学ぶほど、モシェに対する尊敬が深まり、イスラエルに行ってみたいという気持ちが高まるのは、プラクティショナーであれば誰でも同じでしょう。私にとっても今回はワクワクするような期待を胸に抱いての旅行でした。

戦争をしている国

滞在地はテルアビブ。イスラエルは小さな国なので(岩手県ほどの面積だとか)、国中どこでも車で簡単に行くことができます。到着翌日に、エルサレムに行きました。テルアビブからのドライブは1時間ほど。エルサレムについては、歴史的に非常に大きな意味のある都市で、多くの民族、宗教、国家がこの地で繁栄と戦争を繰り返していることを知り、その数千年の歴史の長さを思うと素直に圧倒されるものがあります。宗教的な聖地でもあり、観光客が多いのですが、元からいるアラブ人も多く、黒い服を着た正統派ユダヤ人も多いし、何かいきなり歴史と民族のダイナミズムの只中に入った気がしたのは、自分が平和ボケした日本人だから、と思ったり、、。異常なまでに刺激が多い観光初日でした。

そうだ、私は観光客なんだ、しかも中東初体験の!ここには世界中から、嘆きの壁や聖墳墓教会、キリストの十字架の道行きを訪問する人々が来ているけど、自分も同じ観光客として受け入れられているんだなあと思えば納得できる。自身の立ち位置のようなものを掴むことができれば、多様性のレベルが高い場所は(考えてみればニューヨークもそうですが)、居心地の良い場所になります。イスラエルは遠い未知の国でしたが、私にとって「心地良く居る」ことができる場所でもありました。

そうだ、私は観光客なんだ、しかも中東初体験の!ここには世界中から、嘆きの壁や聖墳墓教会、キリストの十字架の道行きを訪問する人々が来ているけど、自分も同じ観光客として受け入れられているんだなあと思えば納得できる。自身の立ち位置のようなものを掴むことができれば、多様性のレベルが高い場所は(考えてみればニューヨークもそうですが)、居心地の良い場所になります。イスラエルは遠い未知の国でしたが、私にとって「心地良く居る」ことができる場所でもありました。

嘆きの壁(エルサレム)

受胎告知教会(ナザレ)
写真上「嘆きの壁(エルサレム)」、
下「受胎告知教会(ナザレ)」

そこかしこには、自動小銃を構えた若いイスラエル兵士達がたむろしています。人が集まる場所を警備しているのだろうけれど、徴兵された10代の若者達の表情はまだあどけなく、頬は赤く、これはどう言うことかと複雑な気持ちになります。この国は戦時下にあるんだ、と改めて感じました。

テルアビブでは、自動小銃を持つ兵士はあまり見かけなかったのですが、湾岸戦争時にはミサイルが飛んで来たこともあり、住宅にはシェルター設備の設置が義務付けられているそうです。若い世代はあまり緊張感がないとか聞きましたが、元々は世界中から迫害を逃れて来たユダヤ人の国家ですから、自らのアイデンティティーと国家についての意識には特別なものがあるのでしょう。

写真左「カルメル市場(テルアビブ)」、右「エルサレム」
写真左「カルメル市場(テルアビブ)」、右「エルサレム」

地中海の国

イスラエルは地中海の国。イタリアやギリシャなどはすぐ近くなのです。テルアビブ・ヤッフォは地中海岸にあります。地中海を見るのも人生初体験の私にとっては強風でも夕陽でも何でかんでもが新しくて感動的でした。ローマ時代の遺跡があるカイゼリアにも行き、別の日には北部のハイファからレバノン国境まで足を伸ばしましたが、雄大な地中海を介しての人の行き来と文化の交流も歴史のポイントですが、ちょっと観光客としては見るべきものが多すぎるところです。

シャクシューカ

ヤッフォで食べたシャクシューカと言う料理は「やっぱり地中海は美味しい!」と勝手に納得する味でした。トマト、オリーブ、クスクス、新鮮な野菜と肉。いやあ、お腹いっぱいになりました。イスラエルはワインも美味しいんです!
それと、ひよこ豆とゴマで作るフムスは、どこでも出てくるし、美味しい!タヒニというゴマペーストを買って帰り、帰国後早速作ってみました。

写真左「カイゼリア」、右「レバノン国境」
写真左「カイゼリア」、右「レバノン国境」

フェルデンクライスの国

イスラエルはフェルデンクライスの国です。モシェはウクライナからの移民でしたが、イスラエル建国時には建築土木作業等にも関わり、教師などの仕事を経てパリ大学に留学し、その後物理学者となってジュリオ・キュリー博士の研究パートナーとなりました。また、柔術を研究していたモシェが、パリで現代柔道の創始者である嘉納治五郎に出会い、入門して黒帯保持者となりフランスで柔道を広めた事、等々は良く知られたフェルデンクライスの経歴です。彼は、戦後イスラエルに戻ってからはフェルデンクライスメソッドの研究と発展に残りの人生を費やしました。

ですから、フェルデンクライスメソッドの発祥の地はイスラエルなのです。そしてこの小さな国には、なんと、900人ものプラクティショナーがいるそうで、その半数は指導活動をしているとか、、、。テルアビブでも、街のブロック毎に1件はフェルデンクライスのATMレッスンやFIレッスンを受けられるスタジオがあるという状況のようです。誰でもこのメソッドのことを知っており、笹山さんの友人宅のパーティーでも、全員がフェルデンクライスのレッスン体験者で、遠い日本から来た私がフェルデンクライスをやっているのが珍しいのか、盛んにメソッドの効用について議論をふっかけて来たりして、面白いなあと思いました。

写真左「フェルデンクライス・プラクティショナーのアムノンさんと(テルアビブ)」写真右「アレクサンダー・ヤナイ通り(テルアビブ)」
写真左「フェルデンクライス・プラクティショナーのアムノンさんと(テルアビブ)」
写真右「アレクサンダー・ヤナイ通り(テルアビブ)」

今回は滞在中に2人のプラクティショナーが教えるクラスに参加させていただきました。最初の先生は、自宅でATMクラスをたくさん教えている方でしたが、レッスンが始まるまで英語でやるのだと(何故か!)思い込んでいた私は、レッスンがヘブライ語だったのでビックリしました。確かに皆ヘブライ語の方が上手い(!)わけだから、仕方ないです(苦笑)。周りの人が何やっているか見ながらやっていました。「あなたは経験があるんだから、分かるでしょう?」と言われて困りました。
このクラスももう一つのところも、参加者は平日の朝ということもあってか中高年が多かったように思いますが、皆さん、長年フェルデンクライスを学んでいるだけあって良く動く!胸郭や背骨のややこしい、難しい動きも難なくこなすし、とにかく若々しい!。ご高齢の方々がフェルデンクライスを実践して、しなやかに強く生きている光景は眩しくて、こういうところは日本もイスラエルに学ぶことができれば良いのに、と思いました

モシェ・フェルデンクライスの実践家、研究者、教師、人間としての強靭さについて学ぶにつけ圧倒されるような印象を持つことが多いのですが、彼の祖国イスラエルで、複雑な人生の背景を持つ人々とフェルデンクライスについて語る時、そしてそこに顕在している歴史を考える時、中心点はここにあるのではないか、という思いを強く持ちました。フェルデンクライスを学ぶ者にとっては訪れてみるべき場所でしょう。

2017年2月 かさみ康子

モシェのスタジオだったところ。現在はヨガ教室になっていました。


笹山喜一さん

1週間の旅は、長年イスラエルでお仕事をされており、フェルデンクライスメソッドのプラクティショナーの資格も有している笹山喜一さん(写真左)のお招きにより実現しました。笹山さんは、テルアビブ大学を卒業して以来、日本大使館や日本の企業のためにずっと現地で仕事をしている方で、ヘブライ語ベラベラです。この特別な国のことをよ〜くご存知だし、空手の先生だし、案内人としてこれ以上安心できる人はいないような存在でした。彼が計画してくれたおかげで、とってもエキサイティングで密度の濃い旅になりました。本当にありがとうございました。