フェルデンクライスメソッドの
実践の基準(IFF)Resources
目次
まえがき
フェルデンクライスメソッドを明確に定義しようとするどのような試みも、この、非常にかたちを変えやすくダイナミックな方法論について、何か静的な記述をしているように見えるかもしれない。フェルデンクライスメソッド・プラクティショナーは、このメソッドへの理解と実践を進展させ続けており、この仕事について、はっきりと定義づけるような言明を提示するときには、我々は、ダイナミズムと進展変化を視野にいれておくことを忘れてはならない。この記録も、その方向からの光のなかで解釈されるべきである。
改革と成長は、この分野で尊重されるものである。このメソッドの現状には、理解力と感受性と技術が内包されており、それらのしっかりした基盤に基づくとき、改革や成長は特別に尊重される。フェルデンクライスメソッドの共同体のなかで、有効な改革が認められたときには、この規準はそれに応じて変えられるものである。
「実践の規準」を再検討し修正を加えるために、役員会に指定された機関によって、この記録は定期的に改編される。
(その1) 序文
フェルデンクライスメソッドでは、人間は変容する可能性を持つものであり、年令や状態に関係なくどんなひとでも学習する能力を持っているとされる。
モシェ・フェルデンクライスは『高等柔道』(HIGHER JUDO)のなかで、このように書いている。
「顕著な感情的障害を持たずに完璧に成熟した身体においては、動きは、周囲の世界の物理的な必要に対して徐々に順応していく傾向がある。神経システムは、これらの法則のもとで発達し、これらの法則に適応してきた。しかしながら、我々の社会では、契約による大いなる報いか、強烈な罰としてなのか、我々が、その神経システムの発達さえもひどく歪めてしまったために、多くの行為が排斥されたり限定されたりしてしまったのだ。結果として、成熟が抑止されてしまった多くの機能の成人としての成熟を進めるためには、特別な状況を用意しなければならなくなった。多くの人々は、何か特別な動きを身につけるときだけでなく、動きや態度のパターンを作り直すという、除外されたり無視されたりしてはならないようなことについても、教えられなければならないのだ。」
(その2) フェルデンクライスメソッド それは何であり、何をするのか
フェルデンクライスメソッドは、環境のなかにあっての自己の機能的な気づきを発展させる学習のシステムである。このメソッドは、身体が学習にとっての第一の媒体であることを利用する。
フェルデンクライスメソッドは、人々に働きかけて、そのひとたちの動きの能力の範囲を拡げ、気づきを高め、機能を改善して、自分自身をもっと充分に表現することを可能にする。
フェルデンクライスメソッドは、自己全体を組織化し、排除され忘れられた動きのパターンや行動を回復するために必要な学習をどのようにして容易にするかという問いに対して直接的に向けられているものである。
このことは、ひとのなかにある、気づきの働いていなかったり機能的な行動に関与していない部分に注意を向けるような一連の動きをし、自己イメージを拡げることによってなされる。より良い機能性とは、個人と重力とそして社会との間の、より良いダイナミックな関係を確立することによって喚起されるものである。フェルデンクライス自身は、「機能」というものを、そのひとと外の世界または環境における自己との相互作用であると定義している。
このメソッドは、習慣的になっている動作や動作のイメージにおいて忘れ去られたり除外されている動きや身体の部分々々を、ひとびとの機能性のなかに取り戻すことを可能にする。あらゆる動きのなかに、どのようにして身体全体が関与しているかを学ぶ機会を与えることで、フェルデンクライスメソッドはひとびとが人生をより充分に、有効に、快適に生きることを助ける。
身体の機能性の改善は、必ずしもそれ自体を目的とするものではない。そのような改善は、より広い範囲の機能的な気づきの発展に基づいて起こるものであり、その気づきは、個人の環境や人生との関連における身体的な機能性のより普遍的な高まりの入り口であることが多い。
フェルデンクライスメソッドは、学習における自己組織化と自己調整に基づいている。
フェルデンクライスメソッドは、ATM(Awareness through Movement:動きをとおしての気づき)とFI(Functional Integration:機能の統合)というふたつの並列されるかたちによって行われる。
ATMは、主としてグループを対象にして行われ、言葉によって指示される一連の動きによって成り立つ。数百の異なるレッスンがATMにはあり、ひとつのレッスンは一般に30~60分の長さである。それぞれのレッスンは通常、ある特定の機能について構成されている。
ATMレッスンでは、ひとびとは、動きによる探求を行うわけだが、レッスンは精密に構成されていて、思考、感覚、動き、そして想像を要素としている。多くは発育に関わるような動きや通常の機能的な行為に基づいている。関節や筋肉、姿勢のつながりについての、もっと抽象的な探求をするものもある。レッスンは、快適で容易い動きによって成り立ち、次第に、より範囲の大きい複雑な動きへと展開していく。フェルデンクライスメソッドには数百の異なったレッスンがあり、構成や身体の動きがシンプルなものからもっと難しいものまで、あらゆるレベルの運動能力に対応している。
ATMレッスンで試みられることは、習慣的な神経と筋肉に関するパターンと限定に気づかせ、感受性を高め、動きをより有効なものにすることによって、新しい動き方への選択肢を拡げることである。
ATMの主要な目的は、もっとも基本的な機能性とはどのように組織化されているかを学ぶことである。どんな行動でも、それをどのようにして行うかを詳細に体験することによって、生徒は、どのようにして以下のようなことをするかを学ぶ機会を得るのだ。
- 自己全体に注意を傾ける
- 不必要なエネルギーを使うことをやめる
- 意図を行動に移す
- 学ぶ
FIレッスン(機能の統合)はフェルデンクライスメソッドが行われる際のもうひとつのかたちである。フェルデンクライス・プラクティショナーは、ATMレッスンで言葉を用いて一連の動きする案内をするように、柔らかな、押しつけのない(non-invasive)タッチで動きの中を導いていく。
FIは手を使ってする(hands-on)、触覚と運動感覚のコミュニケーションである。フェルデンクライス・プラクティショナーは、自分がどのようにしてその生徒の身体を組織化するかを伝え、柔らかなタッチと動きをとおして、どうやってより豊富な機能的運動パターンの中で動くかのヒントを与えるのだ。
FIレッスンは、生徒の願望、意図、または必要に関連づけられるべきである。学習のプロセスは、押しつけたり無理に行うようなやり方はしないで行われる。信頼、そして、生徒の能力と資質と尊厳に対する尊重をもって行われ、プラクティショナー/教師は生徒が快適に学習できるような環境を作り出す。
FIでは、プラクティショナー/教師は、生徒のために、その特定の時間に、その特定の個人が持っている独特のかたちに合わせた特別仕様のレッスンを展開する。プラクティショナーは快適さ、喜び、動きの容易さの体験を伝え、その間に生徒は、新しいより有効なやり方でどのようにして自分の身体とふるまいを認識するかと学ぶのである。
FIにおけるプラクティショナー/教師の意図は、教え、伝えるものである。
FIはふつう生徒が特別なフェルデンクライス用のテーブルの上に横になるかたちで行われる。生徒が座り、または立って行うこともある。時に、身体の姿勢をサポートするために、あるいは特定の動きを促進するために色々な補助が使われる。
このメソッドは、物理学と生体力学の原理、そして、学習と人間の能力向上についての経験からの理解に基づいている。
(その3) フェルデンクライスメソッド 何では「ない」のか
このメソッドは、医療、マッサージ、治療、セラピーなどの技術ではない。このメソッドは学習のプロセスである。
フェルデンクライス・プラクティショナーは、性的な意図は持たず、性器や肛門に手を触れたり挿入したりしない。
フェルデンクライスメソッドの実践において、薬品や器機を補助的に使うことはない。
(その4)
実践する上で
フェルデンクライスメソッド・プラクティショナー
(開業者)が知り、理解し、行うこと
プラクティショナー/教師は、フェルデンクライスメソッドにおけるすべての行為は、モシェ・フェルデンクライスによって創り出された経験と思考のひとつの方法の所産であり、フェルデンクライスメソッド・プロフェッショナル・トレーニングプログラム(FPTP)のカリキュラムにおいて体系化されるものであることを理解している。ATMレッスンを組立て、教え、FIレッスンを行う際の、フェルデンクライスメソッドの表現はすべて、その考え方を表している。
人間の行動を構成する要素である、行為、感覚、思考、感情は相互に依存し合うものであうことを感じとり、動きが変化することが、これらすべての要素に影響することを明確に理解する。
FIとATMレッスンの原理と、組立方法と根本方針を理解する。この理解は暗黙の、および/または、明言されるものであり、経験上、および/または、認識上のものであり得る。
ATMレッスンを教えるなかで、フェルデンクライスメソッドの基本的な学習方法の有効性を理解し、それを伝えることができる。その学習方法とは:
a:学習のプロセス、そして、目的に向かって働くというよりは「する」ということを志向する。
b:ゆっくりとした柔らかな動きを用いる。
c:動きながら、違いを感じ、互いに関連しているパターンを感じとる方向に気づきを導く。
d:生徒が自分のやり方を見つけるのを認める。
e:痛みや緊張を避けることによって、生徒が安全な範囲のなかで動くように導く。
生徒に接するときは始めから、生徒を観察し、交流をし、先に述べたような根本方針の上で、FIレッスンの展開に導くような態度で会話を行う。これは、プラクティショナー/教師は、生徒の自らの問題の提示のしかたを、フェルデンクライスメソッドの考え方の枠組みのなかへと変換していく方法を知っているということを意味する。
生徒が提示する問題を解決することと、新しい思考や、感情、感覚そして動きの方法を創り出すような反応を喚起することとの間の違いをはっきり認識する。
特定の技術や機能性を獲得することを学ぶことと、周囲の環境におけるそのひとの意志に関連して、行動の新たな方法論や可能性を獲得することとの違いを知っている。
生徒と関連させながら、自分の声、身体、態度や印象、そして存在感を用いて、学習をささえるような環境を作り出す。
ATM、FIレッスンでは、レッスンを受けている生徒の変化を看ながら、それに関連させて自己認識を続ける。
手で触れることでひとと接触するときは、支援するようなやり方をし、押しつけたり、矯正したりする意図でやらない。
自分自身の動きを、生徒がいちばん動きやすい方向へと合わせる。
生徒が必要な支えを得たとき、行為の質が改善されたとき、機能性がより統合されたときにそれに気づく。
生徒のなかに、より大きな快適さの感情や、学習能力、そして機能性の向上を喚起するために、自己組織化を変更する。
生徒の自己調整能力を喚起するために必要な技術を持っている。
そのひとが、機能性を学習するために学ぶ必要がある動きのパターンを決める。
行われる行為が、より効果的であるかそうでないかの区別をし、異質な努力の存在に気づき、生徒が自分の意図する行為をどこで妨げているかを感じることができる。
自分自身と生徒の両方の、筋肉のパターン、骨格の配置、呼吸、そして神経システムの無意識の反応の変化を見つけだす。
生徒の身体全体の筋肉の緊張の違いについて基本的な識別をする。そして、さらに大切なことだが、そのような違いを、自分自身の感受性を必要に応じて高めることによって見つける方法を知っている。
それぞれのレッスンで、生徒が受け入れられる全体の量について気を配り、それによってレッスンの強さと時間の長さとを調整する。
FIレッスンについて、自身の意図が何であるか(あったか)について、他人に述べたり、話し合ったりすることができる。
FIレッスンの組織化に際して、自己表出の表象的な面と生体物理的な面の両方を理解し、それらがどのように織り混じっているかを理解している。
最も大切なことだが、自分自身がどのようにして学ぶかを知っている。
(その5) フェルデンクライスメソッドにおける 組織化のプロセス
フェルデンクライスメソッドの核心にある考え方は、絶対的な解決を求めるというよりはむしろ、調査していくプロセスを助成するというようなものである。プラクティショナーと生徒とは、共同で、生徒の機能性を向上させるのに必要な気づきを発見し、助ける。
以下のような質問は、フェルデンクライスメソッドの独自性をあらわす取り合わせである。これらの質問が全部一緒に、ひと組のものとして提示されるとき、フェルデンクライス メソッド独自のテーマが現れる。
問うにせよ答えるにせよ、明言化するにせよ暗黙裡に置くにせよ、プラクティショナーは、これらの質問への答えを行動に移し変えることによってフェルデンクライスメソッドを教えるのである。
これらの質問は、フェルデンクライス・プラクティショナーによって言語化されて提示されることはなく、むしろ、思考の海のようなものを形成し、時たま表面に気泡のように見えるかたちで浮かび上がり、プラクティショナーによって、彼ら自身へまたは他者へ、直接に問いかけられるものかもしれない。
(その6) 問い プラクティショナー/教師自身のための
- 生徒との関係において、私はどのように自分自身を提示しているか?
- 生徒のより大きな信頼感を得るために、私は何をすることができるか?
- どのレッスンにおいても、学習の環境を創り出すために、自分自身で何をしなければならないか?
- 他の人とコンタクトするために、私はどのように組織化されているか?
- (フィードバックについて)もっと感覚を持てるようにするために、私は自分自身をどのように組織化しているか?
- (フィードフォワードのために)コミュニケートし、行動することをどのように組織化しているか?
- 生徒に、サポートと安心を伝えるために、私は何をすることができるか?
- 指示的になりすぎないで生徒からの反応を喚起するために、私は何をするべきか?
- 生徒にとって、私の意図が、押しつけられるのではないが明確であるようにレッスンをするのはどうすれば良いか?
- 生徒とレッスンをしているあいだに、私自身のうちにどのような感覚が起こり、それはどのように私の行動に影響をあたえているか?
(その7) 問い 生徒を観察する上での
- 私はどのようにして、生徒の必要と欲求を見つけだし、生徒の方に向くように自分自身を調整することができるか?
- どのようにして、生徒は、自分の人生で、または人生において重要な意味を持つ特定の行為で成功をおさめるか?
- もしも、生徒が、成功していると感じないのならば、以前には成功していると感じたのか、そして、過去の成功において、彼らは自分自身をどのように組織化したのか?
- そのひとが必要なものは何かを明らかにするために、差異性という視点から、たとえば、片側をもう一方の側とくらべたり、緊張が高いか低いかとか、このひとと他のひとをくらべるとかして、何を感じとることができるか?
- 何を見、感じ、識別することで、生徒が、現在保持している組織化のパターンを、自分自身のために発見し、生徒に対して明示できるのか?また、どのようにして、彼らが現在の組織化のパターンから、どちらの方向へ向かって動く可能性があるということを感じたり明らかにしたりすることができるのか?
- 何を見、感じ、識別することで、生徒を、より大きな学びと可能性の増進をもたらすような方向へ動かすことができるのだろうか?
- どのようにして、身体に現れるものから、生徒の自己イメージのなかで、欠けていたり無視されていたりするものは何かを知ることができるか?
(その8)
問い
プラクティショナー/教師が、注意を払い、
考え、認識すべき
- 生徒が、自分の人生において意図を実現するために、何をし、何をしていないか?
- どのようにして、生徒が、自身のの人生に関連して何を欲しているかを見つけだすか?どのような機能がそれに関わっているのか?
- 自己イメージのなかで欠けていたり無視されていたりするものを完成させるために、生徒にとって可能な学習体験を創り出すようなひとつのテーマをめぐって、どのような連続した動きが組織化され得るか?
- このひとの必要性にとって、どんな種類のレッスンが最も適切であるか?
- 生徒と共に探査したいと思うような主要な機能はあるか?その機能の探査のために必要なステップは何か?
- 回復を意図する機能に働きかける以前に、どのような動きの可能性、そして/または、どのような機能性が発展的な必要性を持つのか?
- この生徒は、今この時に、何を学習することができるのか?学習の時間的な枠組みはどのようであり、それを深めるために何が必要なのか?
- 私と私の生徒の学習を継続するために、私はどのような識別をする必要があるのか、また、どのような分類と抽象化をする必要があるのか?