誕生と歴史History of the Feldenkrais Method
フェルデンクライス――
日本ではまだ聞きなれないこの名前は、
このメソッドの生みの親である物理学者、
モシェ・フェルデンクライス博士の名前に
由来しています。
物理学博士にして、柔道の達人
モシェ・フェルデンクライス(1904~1984年)は、ユダヤ系ロシア人としてウクライナに生まれ、後にイスラエル人になりました。10代前半に友人達とイスラエル建国時のパレスチナに移住し、労働者として国づくりに携わった後、教師になります。その後、20代半ばにフランスに留学し機械電気工学を学び、パリのソルボンヌ大学で物理学の博士号を取得。ノーベル物理学者ジュリオ・キュリーの共同研究者に抜擢されます。この経歴が物語っているように、モシェ・フェルデンクライスは優れた頭脳の持ち主で、かつ生命力に溢れていました。
モシェ・フェルデンクライスは、学問だけでなく運動能力にも長けていました。若い頃から柔術を学び、実践的な武術を研究。柔道や柔術に関する本も上梓しています。そして、パリで現代柔道の創始者である嘉納治五郎に出会い、強く感銘を受けて師事。ヨーロッパ人として初めて黒帯を取得します。その後、柔道がフランスをはじめヨーロッパの国々で普及したことに大いに貢献したのでした。
自身のけがの克服のために
生み出した革新的メソッド
しかし第2次世界大戦中に潜水艦の上で転んだことから、モシェ・フェルデンクライスは、ひざに大けがをしてしまいます。医者の診断は、手術しても治って歩けるようになる可能性は50%という厳しいものでした。悩んだ彼は、手術を受けずに自力でけがを治す決心をします。そして、神経学、解剖学、生体力学、人間の発達などにについて猛勉強を始めたのです。
科学者としての極めて優秀な頭脳と、武道によって培った身体への洞察力を兼ね備えていたモシェ・フェルデンクライスは、こう考えました。脳と神経の学習システムを利用すれば、もう一度自分の足で歩くことができるはず……そして2年間の研究と自身の体を使った実験の結果、自らに歩くことを再教育することに成功、見事にけがを克服したのです。
歩けるようになった後も、モシェ・フェルデンクライスは脳と体の深いつながりを探求し続け、数百種類もの動きのレッスンを開発しました。いずれも、脳の運動学習中枢にアクセスするようにデザインされた、ユニークなものです。これが、フェルデンクライス メソッドの始まりです。
医療・セラピー・
フィットネス
……広がる応用範囲
モシェ・フェルデンクライスは、その後1984年に80歳で亡くなるまでの間に、アメリカとイスラエルを中心にこの画期的なメソッドを世界中の人々に伝えていきました。彼のトレーニングに参加した生徒のうちの数百名が、フェルデンクライスを他人に指導できる資格を持つ「プラクティショナー」となり、さらに世界中にフェルデンクライス メソッドを広めていきました。
モシェ・フェルデンクライスの死後30年以上経った今でも、フェルデンクライス メソッドの愛好者やプラクティショナーは増え続けています。現在は、特にアメリカ、ヨーロッパ、オセアニア、イスラエルで盛んに実践されています。日本には20年以上前に上陸して以来、アスリート、音楽家、ダンサーなどが身体能力を高めるために採用したり、医療関係者やセラピスト、フィットネス関係者などがそれぞれの分野で応用したりしています。最近では、一般のフェルデンクライス愛好家も増えており、フェルデンクライス専用のスタジオ以外にも、カルチャースクール、フィットネススタジオ、地域の公民館などで、フェルデンクライスのレッスンが頻繁に行われるようになってきています。